前大臣の失言を逆手に取って、東北の魅力を伝えるツイートが広まってるという記事。
僕も「#東北でよかった」のつぶやきを眺めてましたが、こういう試みって本当に素晴らしいと思います。
不用意な発言に対し、誰かが反射的にあげた怒りのツイートがあっという間に拡散し、
取り返しのつかない羽目になる。
そんな様子はそれこそ日常茶飯事、嫌というぐらいに見てきました。
確かに怒りは強いエネルギーをもってるし、現状を変える力があるのかも知れません。
でも、怒りや憎しみは、衝撃波のように強烈に伝わってしまうがゆえに、
それを見た第三者を、思ってもみないほど強く刺激させる。
そうして膨らんだ怒りの連鎖は止まることなく、見る人の苛立ちや憤りを増殖させ、気付けばもう手遅れ。
コントロールを失った怒りは、さらに強い発言力や影響力をもつメディアへと伝わり、
情け容赦ない総攻撃を叩きつけた挙句、偉い人が涙ながらに謝罪せざるをえない状況に。
そうした仕打ちは正義感にも似た想いを抱かせるので、見ていて胸がすく人もいるでしょう。
でも、繰り返す激しい言葉や悪意に胸を痛め、何とも言えない気持ちになる人だって多いと思います。
4年前、僕はこんなエントリを書きました。
自分が感じた幸せを人に伝える。それも確かに素晴らしいけど、
自分が感じた怒りや苛立ちを人に伝えないということ。
決して誰からも褒められはしないけど、そのことをもっと誇ってもいいんじゃないか。
もっと賞賛してもいいんじゃないか。
そんなことを書きました。
自分がどんなに正しいことをしても、悲しむこともあれば、傷つくこともあるし、腹の立つこともある。
でも、だからといって誰かを悲しませたり、傷つけたり、怒らせていい理由には何一つならない。
自分が感じた痛みや苛立ちを、第三者に伝えない。怒りの連鎖に加担しない。
それだけでも難しいことなのに、それどころか、怒りの火種を少しのユーモアに変えようとしてる。
それって掛け値なしに素晴らしいことだと、僕は思います。
誰かの理不尽な振る舞いや不用意な発言は至るところにあって、
それを面白がって誰かが拡散し、凄まじい勢いで人から人へ広まっていく。
その拡散力が無視できない今だからこそ、いい試みは心から賞賛したいし、しっかり伝えていきたい。
そんなことを思わずにはいられませんでした。
同じように伝わるなら、怒りよりも笑顔のほうがずっといいよね。