K's Station

「ご当地萌えキャラマスター」Komaの、愛と笑いのドタバタブログ

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「責めてるんじゃないからね」

「批判を攻撃にしか受け取らない人がいる」という大学関係者のつぶやきを見ました。

しかも「そういう人は誰かの意見を批判する時も必ず攻撃的になる」んだそうで。確かに「批判」ってすごく難しいですよね。ネットを見てると、人格攻撃や誹謗中傷にしか思えない批判も多々ありますし、そんな環境の中で育てば「批判」=「攻撃」とみなし、必要以上に反撃するのもわからなくはないです。もちろん批判に対して全て謙虚に受け入れろと言う気もないですし、批判を受けて変える変えないは本人の自由です。ただ、攻撃で返しちゃいけない批判、プラスに変えられる批判も全くないとは思っていません。




僕も仕事で書類をレビューしたりされたりすることが多いのですが、批判とは意味が違うものの、レビューで山のように指摘が返されるのは、やっぱり辛いものです。最近新しい仕事をしてることもあり、時には後輩からもレビューを受けるのですが、まあ厳しいこと厳しいこと。時間の都合でちょっと不完全な状態でレビューを回したら、ものすごい量のダメ出しが返されるわけで。しかもその指摘も実に鋭い。自分の力不足はわかってるし、自分に非があるのは知っていても、それでも自分の成果を指摘されて喜ぶ人はいないわけで。膨大なダメ出しを見た時には、その内容を精査する以前に、

…僕もう生きてるの嫌になった。

そう思うこともしょっちゅうあります。それは言い過ぎかも知れませんが、多数のコメントに打ちのめされて、素直にすぐ対応する気になれない時は多いですね。




特に疑問形でコメント返されるのは辛いですね。「〜という記載はなぜ?」「〜とあるんですが正しいですか?」のような疑問形で返されると、悪気がないのはわかっていても本当イラッとするんですよ。以前「相手を追い込む言葉」でも書いたように、疑問形は使い方を誤ると、命令よりも人を強く責める言葉になるんです。だから僕は自分がレビューする時には、たとえ後輩であっても、疑問形では返すのは絶対にNG。言葉も強くならないように選んでいます。

もし疑問形で返したいのであれば「自分はこう思ってる」という自分の意見を必ず付け加えるべき。
それがない疑問は、ただ相手を突き放してるだけに過ぎません。

基本的に僕は疑問形では返さず「〜してはどうでしょう」「〜と思います」という言葉を多用してます。そうすると言葉が上から目線じゃなくてやんわりするので、相手を不必要に傷つけることなく、聞き入れてもらえるんじゃないかなと思ってます。良くしてほしいと思ってのことであれば、不必要な苛立ちを起こさせるのは逆効果。そういう心遣いは先輩後輩関係なく大事だと思ってます。こういうこと言うと「批判は素直に聞け」「甘えるな」とか言う上司もいるかもしれませんが。

そういう人は自分の立場を利用して上から下に言ってるだけか、ただのドMなのでほっといていいです。




批判された時の苛立ちとどう付き合っていくかは、大人でもすごく難しいです。誰しも自分の成果を批判されるのは嫌ですし、プライドもあって素直に受け入れたくない時もあります。もちろん攻撃や中傷まで受け入れる気はないですが、改善させたいという想いから来る評価は、突っぱねるんじゃなく、考えてみる価値はある(ものもある)と思うんですね。評価する人も時間をかけてまで、

「何を伝えたかったんだと思う?」

そう考えてみる余裕は、どこかで持っていたいですね。今は納得いかなくても、指摘と向き合い、考えて、結論が出せるようでいたいです。


なんてね。そうしてるうちに、また今日もレビューが返ってきました。うわあ…痛いところを確実に突いてくるなあ。それは確かにそうかも…。それ言うか…。そんなん今さら言われてもさあ…。なんて言葉が僕の中をぐるぐる回って「じゃあお前がやれよ!」という気持ちに変わりそうになりますが、そんな時こそ、

「責めてるんじゃないからね」

と、今日も魔法の呪文のようにつぶやいて、深呼吸して、一度は閉じたメールを開いてみるのです。