命令よりも人を責める言葉
例えば、あなたが後輩に書類の作成を頼んでいて、その書類が後輩から返ってきたとします。
でも、その書類は明らかに調べてないのがバレバレ。表面上わかることをさらっと書いただけで、とても納得いく出来ではありませんでした。そこであなたは、その後輩に対し、ある本を見て、もう少し調べて書き直してほしいと思ったとします。そんな時に、後輩にどうやって注意しますか?
一つは、僕だったらこういう本を読んでこんなことを書くけどどう思う? という聞き方。
一つは、この本読んだ? なぜ読まないの? という聞き方。
言われた後輩にとって、どちらがやる気になるか。言わなくてもわかりますよね。むしろ「この本読んで書き直せ」と言われたほうが、まだやる気になるかも知れません。特に後者はすごく嫌な気分になるし、やる気もなくなってしまうのではないでしょうか。
「なぜ?」という言葉は、使い方を誤ると、命令よりもずっと人を責める言葉になるんです。
「正論」という名の暴力
書類の内容が薄いのは事実ですし、どちらが悪いかといえば、もちろん後輩なんですよ。それを後輩の手で直させようという先輩の指導もいいことだと思います。でも事実だからこそ、言い方には気をつけないといけないんですよ。書類を直すべきだというのは、もちろん正論。疑う余地はありません。
でも、正論に対して「なぜしないの?」なんて言ったら、相手は反論できません。自分の非を認めるしかできません。
反論できない立場に立たされるのは、プライドを否定されたも同じ。これ以上ないくらい辛いことなんです。
子どもの頃、宿題を忘れてしまい「どうして忘れたんだ」なんて先生に言われたことがあるかも知れません。そう言われても何も言い返せませんよね。宿題を忘れるのは悪いことなんですから。言い訳をしても事実は動かない上、そんな質問をされることで、さらに追い詰められる。それは想像以上に辛いことだと思います。
しかもこの場合、先輩にとってはその本は常識でも、後輩はその本の存在自体気づかなかったかも知れません。そんな時「この本読んだ?」なんて言われても、思いつかなかったとしか言えませんし、「なぜ読まないの?」なんて言われても、答えようがありません。むしろプライドを傷つけられたことで、余計な腹立ちを生むことになりかねません。
人間は追い詰められると、自分を守るために反論しようとします。それも許されないほど追い込まれると、必要以上に自分を責めたり、理不尽な怒りを生んだりします。
それは言ったほうにも、決していい結果は生まないはずです。
知らずに人を怒らせてしまう人たち
言われた立場になればすぐわかることなのに、「どうして〜しないの?」なんて聞き方を自然にする人も、中にはいるんですね。確かに非があるのは相手のほう。それを注意したい気もわかります。どうしても自分と合わない。自分がいくら注意しても良くならない。そんな人は先輩後輩関わらずいますし、いろんな人間がいる以上、それも仕方のないことだと思います。
でも、相手がバカだからバカにしていいなんてことは決してないはずです。
これは偏見かも知れませんが、仕事ができる人ほど自然とこういうことを言ってしまいがちのように思うんですよ。自分の中ではそれが常識だと思ってるから、それを知らないと相手に対して強い言い方になって、それが相手を追い込み、人を傷つけてることに気付かない。
相手にやる気になってほしいなら、相手を追いこんじゃダメ。もちろん厳しく注意することも必要だけど、言われる立場のことも考えられる余裕は忘れちゃいけないですよね。