絵がうまくなりたい。楽器がひけるようになりたい。英語が話せるようになりたい。
何かができるようになりたいという意欲は、きっと誰しもが持ってるはずだと思います。
でも、そのためには、欲しいものもぐっと我慢して、ひたすら上を目指し、厳しい努力が必要不可欠。
そして、そんな姿こそが賞賛されるべきもの。
…そうでしょうか?
できるようになりたい。でも何だかんだで忙しい。だから効率よくできるようになりたい。楽してできるようになりたい。あわよくば他人から褒められたい。それは別に恥ずかしいことじゃなく、自然なことだと思うんですよ。もちろん新たな力が覚醒し突然できるようになるなんてことはないし、上達には努力が必要です。でも、上を目指すことだけがいいこととは思えないんですね。それなりに頑張って、それなりの成果を出す。たとえそれが他人からすれば褒められる出来じゃなかったとしても、
ま、楽しいからいいか。
そう割り切るほうが、必要以上の努力を課すより重要なんじゃないか。そう思います。
本当にできる人は、努力しなきゃと思って辛いことに耐えてきたわけじゃない。もちろんそういう厳しい面もあるとしても、ひたすら時間をかけるうちにいつしかできていた、というのが本音ではないでしょうか。だから、できないのは努力が足りないからだと深く考え過ぎず、できる範囲でできることを続けるのも悪いことじゃないと思うんですね。
だって、そのほうが楽しいじゃないですか。
会社帰りにフットサルしてる人は、プロサッカー選手に比べたら天と地ですけど、すごく楽しそうですよね。Pixivで見るイラストも、綺麗なわけじゃないのに引かれることもありますよね。だから、何かを始めるのに肩肘張らなくてもいいと思いますね。それよりは、まずやってみることのほうが大事。才能とか努力とかはひとまず忘れてでも、始めないよりはずっといいです。
今の世の中、魅力的なことも多いけど、そのぶん初心者への敷居はどんどん高くなってるような気がします。その中で上達するためには、自分が思うよりも多くの時間がかかるもの。心を揺さぶられるものに出会って、自分も真似てみたけど上手くいかない。それでも楽しむ方法はきっとあると思うんです。
それに、皆が上を目指すだけの世界なんて面白くないし、努力しなきゃ楽しめないような趣味なんて、たぶんつまらないですよ。他人からは中途半端な努力に見えても、自分だけは徹底的に楽しんでれば、
そのうち同じような仲間ができて、そのうち承認要求も満たせるのでは。