わかってる、いつまでも 夢見る少女じゃいられない
主人公の佐和子は、結婚生活2年目の34歳。ゴスロリが好きで、職場に内緒でゴスロリ衣装に身をまとっていたが、年齢を重ねるにつれ、以前のように服を楽しめていない自分に気づきます。そんな趣味と加齢の狭間を描いた作品ということで、37歳独身・ちょっとだけオタクの僕としても、これは見逃せません。気になって僕も読んでみました。
…うん。わかってはいたけど、切ないよね。
この結末には賛否あるでしょうが、僕はこれはこれでハッピーエンドだったと思います。次の新たな幸せのために過去と決別する。それは決してネガティブなことじゃなく、立派な選択肢のひとつだと思います。きっぱり過去を捨てて新しいものを好きになるのもいいし、徐々に少し距離を置きながら楽しむのも悪くない。自分の「好き」が何かのきっかけで以前と同じようには興味を示せなくなる。それは誰しもあることだと思うんです。
そのきっかけとして、「年齢」というものが持つ意味は、すごく大きいんですよ。
「年相応」という言葉があります。年齢に応じて年齢らしい振る舞いをすることですが、最近はあまり聞かなくなったように感じます。画面の中では少年少女たちばかりが活躍し、現実でも母親はアンチエイジングに勤しみ、娘とは友達感覚。ネットもメディアもこぞって心も体も若いことが良しと訴える時代。上手に歳を重ねていくよりも、常に若くいることが魅力とされる。もちろんそれは悪いことではなく、ひとつの生き方としてはアリだと思ってます。
それでも、心と体を若く保ち続けるには、人生は残酷なほど長くて。
「このままでいいのかな…」と苦悩しては、そんな気持ちに折り合いをつけながら生きていく。
長く生きていれば、そんな瞬間も必ずあるんです。
アニメショップに一人で買い物するのが恥ずかしくなった37歳独身
先日、久しぶりにアニメショップでCD買ったんですよ。普段はAmazonで買うんですが、たまたま近くに行く用事があったのでアニメショップで買ったんですね。
…なぜか無性に居心地が悪いんです。
友人と一緒ならアニメショップにもよく行きますし、実際に今でも声優のライブには行ってますが、一人でショップに行くと妙な気まずさを感じるんですよ。昔はそんなこと感じることなく、買った後も普通にノベルスやグッズを見ていたのに、久しぶりに一人で行くと何か居心地良くなくて、結局目的のCDだけ買い、特典のポスターを2本ほど持って帰ってきました。その時に思ったんですよ。
いつか卒業すべきものなのかも知れないな、と。
若い頃なら許されていたことが、やがては社会的に許されなくなる。どんなに気持ちを若く保ったとしても「年甲斐もなく」という言葉は必ず付きまとってくる。しかも僕には佐和子の夫のような理解者がそばにいるわけでもなく、この年でも独身。どこかで気がかりにはなってたのかも知れません。僕は別にゴスロリに身を包んだりはしませんが、いかにもアニオタを狙ったようなアニメを手放しで喜べなくなった自分をちょっと寂しく思いながら、それが当然なのかもと思ったりもするんです。
もちろん自分がそうだったというだけで、他人をとやかく言うつもりはありません。ただ、昔は楽しめていたことが以前のように楽しめなくなった。楽しいのにどこかノイズが入ってしまう。年齢とともにそんな機会も増えると思うんですよ。しかも佐和子のような趣味は、見た目が強くものをいう趣味。気持ちは若く保てても、体を若く保つのは想像以上に大変なもの。何かの機会で気持ちも崩れてしまうことはあると思うんです。
37歳に戻る「17歳」がいてもいい。「17歳」を貫きつづけてもいい。
長く生き続けていれば、「好き」の対象が変わることもあるし、
そのきっかけとして「年齢」のもつ意味は決して小さくない。
そのことを、まずは認めてあげてほしいんです。
年齢関係なく「好き」を極めるのもいいんですよ。「年甲斐もなく」と言われたって「好き」な気持ちは止められない。ならば今はそれを貫けばいいし、まわりも認めてあげてほしい。でもいつかその「好き」の方向が変わったとしても、それは自然なことだし、自分もそれを責めないであげてほしいんです。
歳を重ねても第一線でアクティブに活動してる人はどの世界にも必ずいて、そんな人のエピソードは人の心に響くもの。でも、それはその人の生き方にあってただけで、そうすることが皆にとっていい生き方ではないんです。自分らしく生きていたいと思っても、それを常に貫き続けるのは難しい。だから、ついそういう生き方に憧れてしまいますが、人の生き方を真似る必要はないと思うんです。
自分らしい生き方をしたいとは思うものの、
思うまま生きられる人なんてほんの一握りなわけで。
傍から見たら「変わった生き方だ」と思われるかもしれませんが、
別に余裕があってそんな生き方をしてるわけじゃなくて、
必死に生きたら、結果的にそういう人生になった、そういうことなんだと思うんですよね。キャリアデザインとか、モデルプランとか、
これという先達のあとを辿っていきましょう、みたいなことが言われている今ですが、
結局、自分の道を切り開くのって、自分自身でしかないと思います。
あんまり常識にとらわれずに、もっと己を頼っていいと思うのです。 (「儚雪の空」 2013年11月21日)
ただ、自分の「好き」に正直でいられて、自分もそれを認めてあげるだけの余裕はもっていてほしい。
ならば、どちらの選択肢も決して間違いではなく、正しい選択なんだと思います。