震災から少し経ちましたが、自粛傾向は続いてるようですね。マスコミも気を使ってるようで、中には「海の話はNG」なんてのもあるそうです。個人でも旅行や花見は控える傾向があるようで、リンク先でも、乙武さんが飲みに行く話をしただけで「不謹慎」と言われたそうで。華やかなことを控えるべきという気持ちもわかりますが、過度な自粛は誰のためにもならないのではと思います。
それに、自粛は本当に被災者が望む声なのでしょうか。
自粛よりも大切な一つのこと
会計士の山田真哉さんが自身のブログでこのようなことを書いてました。山田さんは阪神大震災で家が全壊する被害に遭われたそうですが、イベントの自粛について、このように書いています。
(略)
あくまでも、いち元・被災者としての個人的な意見であることに御留意いただきたいのですが、
やってもやらなくてもどっちでもいい、と思います。
私が阪神大震災の時に気になったのは、
自分たちが忘れられていないかどうか、
見捨てられていないかどうか
という点でした。
僕は大きな被災を経験したことがないので、被災者の立場に立たされた時、今の雰囲気をどう捉えるのかはわかりません。だから想像でしかないですが、同じようなことを考えるのではと思います。別に被災地以外の人に楽しいことを控えろなんて言う気もない。普段通りに過ごせる人は過ごせばいい。
ただ、忘れてほしくはない。
その言葉に、すごく切実な気持ちが込められているように感じました。
「忘れない」という支援
楽しいことを控えるのは心情的にはわかります。でも自粛するだけでは何も生まれません。それよりも、楽しいことと一緒に、チャリティーや募金などを通じ、被災者のことを忘れていないというメッセージを示すこと。あくまで想像ですが、そのほうが自粛よりも、被災者にとって嬉しいのではと思います。
東日本大震災も、今は連日トップニュースで取り上げられ、チャリティーや募金といった支援の手も広がっています。でも、あれだけの惨状が一年かそこらで元通りになるとも思えません。復興には想像以上に長い年月がかかります。
では、一年ほど経った時、今と同じように被災のことを考えてる人がどれくらいいるでしょうか。
一過性のこととして忘れ去られてしまう。そのほうが被災者にとって、よほど恐いのではと思います。
以前「それでも世界は回っている。」と言う内容でも書きましたが、楽しめる人は楽しめることを楽しめばいいんです。何もしないでただふさぎこむよりは、そのほうがよほど前向きですし、日本の経済にとってもいいことです。
ただ、できればそこに「忘れない」という気持ちがあればもっといいです。
例えば飲み会で余った額を募金に回してみたり、被災地に近い産地のお酒やお米を買ってみたり。それだって被災のことを忘れてないからこそできる支援じゃないですか。そういうことを積み重ねていけば、それで充分だと思います。
今、被災地以外の人にできることは、自粛することよりも、被災地のことを忘れないこと。
被災者でもない僕の身勝手な意見ですが、そう思います。