K's Station

「ご当地萌えキャラマスター」Komaの、愛と笑いのドタバタブログ

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批判を言うと、なぜ気持ちいいのか

何かを批判してると、つい饒舌になる。そんな経験ないでしょうか。

世の中には、良いニュースもあれば悪いニュースも当然あるわけで。中には聞いてるだけで腹の立つようなこともあれば、許せないような事件もあります。そんな時、その苛立ちをブログやTwitterにぶつけることもあると思います。自分の苛立ちをそのまま批判として書くのは気持ちいいし、気分もスッとする。それはなぜか。

上から目線でものが言えるからなんですよ
それこそが批判を気持ちよくさせる原因であり、同時に一番怖いところだと思ってます。



「自分がそう思った」という、あくまで自分の一意見のはずなのに、それを重ねてるうちに、視聴者代表だったり、ユーザー代表だったり、国民代表だったり…。自分の枠を超えて、どんどん上から目線で物を言うようになるんですね。その最たる形になると、

「オレがお前を良くしてやってるんだ!」

と、誰も望んでいないのに、あたかも皆が望んでるかのような物言いになってしまう。誤った使命感ほど、他人から見て気持ち悪いものもありません。そんな気持ちに任せて事態が変わったとしても、残るのは言った方の一時の優越感と、言われた方の積もり積もった反感だけ。長い目で見れば、決していいことではないでしょう。



もちろん批判が悪いとは言いません。批判によって物事が改善されることを僕も決して否定はしません。でも、批判するのであれば、それなりの根拠をもった上で、

あくまで自分の一意見として、決して上から目線で言わないこと

上からの批判は、単なるいちゃもんと捉えられ、反感を招くだけ。だからこそ批判って難しいし、物事を良くするのも難しいと思うんです。



それに、苛立ちに任せて批判してる姿って、見てて気持ちいいものじゃないですし。苛立つことは山ほどあって、確かに一理あるのかも知れないけど、それをそのまま表現しても、苛立ちが他人に伝わり、見た方もあまりいい気分になりません。悪いニュースも含めて伝えること自体は悪いことだとは全く思いませんが、腹の立つことほど、少し熱を冷まして考える余裕を持っていたいと、そう思いますね。

最近、公私ともにイラッとすることが多いので、自戒をこめて。