K's Station

「ご当地萌えキャラマスター」Komaの、愛と笑いのドタバタブログ

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それでも僕は「笑い」がほしい。

「のうりん」の悪意の無さと優しいキャラクター、優しい世界観 −さよならストレンジャー・ザン・パラダイス
悪役のいない物語は、「本当に優しいの?」 −Celaeno Fragments

僕にとっても「のうりん」は今期楽しみなアニメのひとつなので、
問題のアラフォーをネタにした回も見てました。
アニメ自体はギャグものなので、終始笑って見れるんですが、
37歳・妻なし家庭なし甲斐性なしの僕としては、笑ってばかりいられない現実も実際あるわけで。
そういう意味では、ベッキーは嫌いじゃないキャラだったりします。

笑いに敵は必要ない。蔑む何かがあればいい。
そういう業を持っている(例えアラフォーの声優がいないとしても誰かを傷つけている)ので、
そう簡単に、「優しい物語」なんて、いっちゃダメだと思うんですよね。 (Celaeno Fragments)

そうなんですよね。笑いを生むもっとも簡単な方法は、蔑む対象を作ること。
結婚できない女性、容姿がイケてない男性、極端に何が欠けた人間、などなど。
外部から共通の対象を貶めてしまえば、それだけで笑いは取れてしまう。
笑いは時に、直接的な言葉より凶器になることもあるんです。



でも、そんな残酷な一面を持ってることを受け入れても、やっぱり僕は「笑い」が欲しいんですよ。



僕は、この世で一番大切なものは「愛情」と「笑い」だと思っています。
愛情だけではつまらない。笑いだけでは残虐すぎる。
だからこそ、両方がバランスよく揃ってないとダメなんです。

笑いが多かれ少なかれ誰かを傷つける要素を含んでいるのは事実。
悪意がないからこその毒もあるし、悪意向き出しの毒もある。
かといって、笑いのない世界は退屈で耐えられないから、
笑いを愛情に変えながら、毒を上手く中和しながら、
各自が上手く折り合いを見つけながらやっていくしかない。
そういう微妙な表現の上に「笑い」って成り立ってるんですよ。



アニメの話に戻ると、やっぱり僕はこの二つがバランスよく備わったものが好きですね。
「いなり、こんこん、恋いろは」なんて、その二つをちゃんと両立させてますし。
笑いの要素がかなり強いものの「のうりん」も悪意をもったキャラは出てこないし、
愛情あふれるとは言えなくても、やっぱり見てて楽しいので、僕は好きです。


大きな感動はなくても、主人公を中心に、悩んだり笑ったり、時に傷ついたり。
ハートフルでなくても、仲間と一緒に無邪気に馬鹿やったり、時に反省したり。
僕がアニメを通してみたいのは、
人と人との関わりの中で描かれる人間らしさに主軸を置いた「愛情」物語なんです。

でも、それだけだと欠伸が出てしまうので、時に皮肉ったり、ドジったり、下品なことしてみたり。
傷つけすぎない程度のバランスで現実に引き戻す「笑い」というスパイスも、
僕にとっては、アニメを見る上で欠かせない重要な要素なんですね。

だから、基本的に皆が皆、優しいんですよね。
のうりん」のキャラクターって(四天農が落ち込んだ林檎を励ます為に耕作達の前に集うシーンとか凄い好き)。
そもそも「のうりん」の登場人物はバカと変態ばかりですが、
そんな人達が凄く楽しそうにしている世界という、その作品世界の根底の部分からして優しい。
(中略)
あれだけ、ドギツイシモネタ、エロネタをやりつつも、それでも不愉快な感じが余りしないのは、
やっぱり、そういう優しさだったりとか真摯さ、上手さがあるからではないかと思うんです。
さよならストレンジャー・ザン・パラダイス)

今回の内容は、確かに結婚できない人を小馬鹿にした内容かも知れません。
でも、救いがないとは思わないし、残酷だとも思わなかったんですよ。
それに、「結婚したい!」「オス欲しい!」とあれだけ強烈な歌で締めながら、
その直後にDHCのCM流すなんて、最高にロックじゃないですか。見てて大爆笑しましたよ。


いいじゃないですか! 笑われていきましょうよ。
皮肉さや下品さがあっても、愛情とバランスが取れた笑いは、誰かがちゃんと見てくれていて、
気が付けばその人のまわりに、いいサポーターが集まってくるものです。
嫌われることだって多々あるけど、全てが敵に回るほど、酷い世の中でもないと思いますよ。


捨てる神あれば拾う神あり。
だからみんなもっと、笑えばいいし、笑われればいいと思うよ。